GB連合
ゲートボールの歴史
ゲートボールとは
大会歴
年間行事表
諸料金表
支部
審判員
ニュース
ホーム
 
 
 
ゲートボールの歴史

故鈴木栄治(俳名:和伸)さんの「敗戦に打ちひしがれた日本で、子供たちに楽しい遊びを与えたい。」という願いから、英国で盛んなクリケットから思案したそうだ。秋田県で生まれ、サハリンで育った栄治さんは、旭川で敗戦の日をむかえた。
昭和22年軍隊時代の上官に誘われ、十勝支庁芽室町でパン屋をはじめる。そこでひらめいたのが「ゲートボール」だった。簡単な用具で遊べ、それほど広い場所の必要としない。そんな理由だったらしい。
狸小路近くではじめたスポーツ用具店の切り盛りは一切妻任せ。栄治さんは、リュックに一チーム分十組、約20キロもの用具を担ぎひたすら全国へゲームの普及行脚を続けた。
皮肉なことに子供たちの為にと考案したスポーツが人気を呼び始めたのは、お年寄りパワーのおかげだった。高齢者時代を迎えた1965年代の終わり頃、ゲートボールは九州で爆発的な流行を見せ、瞬く間に全国へと愛好者が広がっていった。
1975年代に入って競技が盛んになるにつれルールは混乱し、競技組織も乱立ちした。
この渦中の1983年、65歳の栄治さんは階段から転落、不慮の事故で帰らぬ人となった。
栄治さんが最後に残したものは自ら奔走り、発足させたルール統一促進協議会だった。
栄治さんの死後、ゲートボールはルールも統一され、黄金期を迎える。その輪は今やブラジル、中国など海外にまで広がった。
 
ゲートボールの創造者
     
ブラジルゲートボールの導入

ブラジルにゲートボールが導入されたのは、1978年11月、黒木松巳さんが、渡伯20周年記念訪日墓参を兼ね旧友を訪ねたときのことだった。農業共同組合倉庫広場でゲートボールの試合をしているのを見て関心を持ちゲートボールの規則、技術等の説明を聞いた。
 在郷中練習に参加する中、これをブラジルの老人クラブ活動のスポーツに導入したら喜ばれるのではないかと、ゲートボール用具を持ち帰る予定であったが、荷物がかさばり重量超過したので、ブラジルで作る事にして、宮崎県ゲートボール協会発行の規則書だけを持ち帰った。
 1979年01月の老人クラブ福栄会定期総会で、ゲートボール導入を提案し承認されて、直ちに用具の製作にとりかかったが、なかなか見つからず、6月19日、20日と2日間探しやっと見つけ、スティック10本とボール10個が出来上がった。
 1979年7月17日に諸準備が出来、福博青年会館カンポでブラジル最初のゲートボール団体競技の練習が始まった。
 1981年、イタペチ植民地在住の檀定氏より打診があり有志数名福博に来て練習に参加、共鳴し規則書を持ち帰った。
 そして、1981年09月11日にイタペチ老人クラブ萬寿会よりゲートボール親善試合の申し入れがあり15名が来場し、ブラジル最初のゲートボール団体試合が開催された。
 1982年以降、ようやくゲートボールの評価が高まり、総合団体活動が必要となり、老人クラブの代表者会議が開催された。
 同年の7月に200人以上イタペチ日本人会館に集まり、第一回ゲートボール協会創立総会を開催。ゲートボールの連携、普及や発展を促進する目的で、ブラジルゲートボール協会を創立し、初代会長に檀定氏が選出された。
 
ブラジルゲートボール導入者